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蛇松緑道で蛇松線(沼津港線)の痕跡を探してみたら、いろいろ発見があり面白かった話

沼津駅近くから貨物列車と富士山

沼津市の蛇松緑道にて、かつての蛇松線の痕跡を探してみたらいろいろ発見があって思いのほか面白かった!というお話です。

ちなみに上の画像は蛇松線ではなく東海道線を走る貨物列車です(蛇松線のイメージを出せるようにモノクロにしてみました)。

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蛇松緑道で蛇松線の痕跡を探してみようと思ったきっかけ

沼津駅近くから沼津港および狩野川べり近くまで続いている蛇松緑道という遊歩道があります。この時期になると、地域の人達が植えて育ているいろんな花が咲き、とても華やかな装いになります。そんな蛇松緑道ですが、実は昭和49年まで蛇松線という旧国鉄の貨物鉄道が走っていました。蛇松緑道は何度も歩いたことがあり、蛇松線があったことも知っていましたが、かつて鉄道があった面影はほとんど感じませんでしたが、実は今でも一部に線路や踏切などが残っているという話を聞きました。

改めてネットで調べてみるとかつての蛇松線の線路などの写真があちことに載っていて、かなり詳細に調査している個人のサイトがあり、いくつかみさせていただきました。そこには自分が知らない蛇松緑道の姿があり驚きました。

沼津駅周辺は駐車場ができたり、高架化、再開発の話もあり日々刻々と姿を変えています。まだこれら蛇松線の痕跡が残っているのか自分の目で確かめてみよう!もしかしたらネットにも載っていなかった新しい発見も1つくらいみつかるかもしれない(期待はうすそうだけど)と思い、2018年の蛇松緑道を歩いてみました。

蛇松線の歴史

散策前に、まずは蛇松線の歴史を沼津市のサイトや図書館などで調べてみました。

静岡県で一番最初に蒸気機関車が走った蛇松線。当初は東海道本線の建設に伴う資材運搬の支線として建設されました。

静岡新聞社の「静岡県鉄道物語」によると、1886年東京から京都までの鉄道、東海道線を敷設することを明治政府が最終決定後、静岡県ではまず、横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工場まで運搬する目的で蛇松線が敷設されました。

1886(明治19年)蛇松線敷設され、のちに蛇松駅は沼津港に移転されるが、移転後も蛇松駅は使用されました。1974年(昭和49年)8月31日に廃止されるまで88年間の長きに渡り運行されました。レールは単線、列車の運行は一日四往復だったが時刻表はなく、沼津駅構内で空いた蒸気機関車があれば蛇松線に回していたそうです。

蛇松線が廃止されてからは、蛇松緑道として整備され今日に至っています。

蛇松線と蛇松緑道の比較

蛇松線のレールのあった場所すべてが蛇松緑道になっているわけではありません。蛇松線が赤線、緑道となっている部分を緑線で描いています。

※拡大すると線が微妙にずれているのは手書きのための誤差である。

蛇松線については以下の昭和20年代後半の沼津市街図を参考にしました。

沼津市街図(昭和20年代後半)
※この地図、現在と比較しながらみるとすごく面白い。これだけで飯3杯食えるw

Googleマップ写真付き

今回撮った写真をGoogleマップに埋め込んでみました。地図を開きながら記事を読むとより楽しめるかもしれません。
Googleマップ

蛇松線の痕跡を探しながら蛇松緑道を散策

今回の目的は蛇松線の痕跡を探すこと。すでにいろんな人達がネットにあげているので新しい発見というのは難しいかもしれないが、鉄道の痕跡、鉄道に関係するものが落ちてたりしないか、そういう目線で散策してみました。

沼津駅から沼津通運倉庫

蛇松線ができた歴史を考えると、本来の開始点は逆側の狩野川河口にあった蛇松駅と言えるかもしれませんが、今回は沼津駅を開始点とします。

以前は沼津駅から蛇松線側に延びていた線路が残っていたようですが、Googleマップの航空地図でみても線路は見えません。線路自体は線路があったであろう場所の近くに積まれていました。

01.Googleマップ沼津駅から蛇松線の線路は延びていない

と思ったのですが、、、

おやおや・・・これはなんでしょう??

01.これはなに?

一度現場に行った時は気づかなかったのですが、なにやら錆びた鉄のようなものが置いてあるように見えます。これはもう一度現場行って確かめてみる必要がありそうです。

来ました。金網の影になっていて見えにくかったのですが、これ。撤去されたレールのようです。かつて蛇松線が通っていた場所に置いてあるということは、蛇松線の線路に使われていたレールなのではないかと思われます。

01.積まれたレール

地図でみるとわかりますが、蛇松線の線路は沼津通運倉庫株式会社の敷地内を通っていました。建物が線路に沿ってたて建てられています。

02.沼津通運倉庫

道路から敷地の中をみてみると今でも線路があるのがわかります。段が高くなっている場所は、かつてのホームだったと思われます。

道路から見える沼津通運倉庫敷地

倉庫の回りにも何か残っているかもしれないと思い、少し散策してみました。

倉庫のすぐ横を子持川という小さな川が流れています。蛇松線もこの川を渡っていたので、この川の上にも線路がかかっていたはずです。道路側の橋は「城内橋」という名前でした。

03.子持川
03.城内橋

沼津にはかつて沼津城がありましたが、ここは沼津城の敷地内ではないですが、城内町には含まれていたと思われます。個人的にはここは三枚橋城(沼津城よりも規模が大きかった)の外堀だったんじゃないかなぁいう気がします。
※ちなみに地元ながら、今まで川の名前も橋の名前も気にしたことがなかったので今回初めて知りました(汗;)

倉庫の西側にも回ってみたところ、沼津通運倉庫の壁にくっつく形で建てられている古い小さな小屋があります。一面葉っぱに覆われてしまっていますが、扉には「変電設備」と書いてありました。

04.沼津通運倉庫変電設備

変電設備って線路の近くなどでよくみますよね(それ以外の場所でもよくありますが・・・)。かなり古いもののようですし、推測の域を出ませんが、古さから言ってもかつての蛇松線のための設備だったのかもしれません。

蛇松緑道入口から蛇松白銀歩道橋

道を渡ると「蛇松緑道」の看板があり、緑道が始まります。

05.蛇松緑道入口看板

道標のような木。古そうだが蛇松線と関係あるかは不明。

06.道標?

緑道の両側には花壇、ところどころに街灯がある。この根本をみるとかなり古そうではあるが、廃線後のものかなぁとという印象。

07.緑道の両側には花壇
07.街灯
07.街灯の根本

蛇松白銀歩道橋から蛇松緑道交差点

歩道橋まで来ました。蛇松白銀歩道橋です。

08.蛇松白銀歩道橋

もちろん、蛇松線が廃線されてからできたものです。

08.蛇松白銀歩道橋の橋名板
08.竣工

歩道橋の支柱を見ると「蛇松白銀歩道橋」の右に「市道蛇松緑道線」とあります。これが蛇松緑道の正式名称のようです。

09.歩道橋の支柱

下から見た蛇松白銀歩道橋。

09.下から見た歩道橋

橋のたもとのあたりに蛇松線の痕跡が残っていないか探してみると、木に鉄パイプがくくりつけられていました。このサビ具合はかなり古そうですが、蛇松線の痕跡かどうかはわかりません。

09.歩道橋の下
09鉄のパイプ

歩道橋を渡った側のたもとにはトイレがあります。

10.歩道橋下のトイレ

ここにも古そうな鉄パイプが置いてありましたが、なんとも言えません。

10.トイレ近くの鉄パイプ1
10.トイレ近くの鉄パイプ2

蛇松緑道は続きます。

11.真砂町のあたり

歩道橋を振り返るとこんな感じ。

蛇松緑道交差点から蛇松緑道お祭り広場

蛇松緑道の交差点まで来ました。ここは交差点の名前が「蛇松緑道」となっています。

通りを渡ったところに蛇松緑道の案内板があります。

12.蛇松緑道の案内
12.蛇松緑道説明

沼津通運の横を流れていた子持川と交差します。ガードレールに「幸橋」とかかれていました。ここは旧東海道だった通りです。

14.幸橋

橋を渡りところでで緑道の隅っこにあった四角い石に気づきました。ちょうど家と道の境目にあり、なんだか意味ありげ。

15.境界杭?
15.境界杭1

暫く進むと古そうな小さな小屋がありました。この中途半端な柵みたいのはなんでしょうか?

16.古そうな小屋1
16.古そうな小屋2

「幸の池滅菌装置小屋」とありました。緑道の中に池があるのですが、池の滅菌装置なるものが入っているようです。小屋も周りの鉄の柵もかあなり古そうなので、もともとは蛇松線のための小屋だったのかもしれません。

16.幸の池滅菌装置小屋

あ、またありました!!さっきより背の高い三角点みたいな石です。

17.境界杭2

よく見るとカタカナのエという文字?が彫られていいます。

17.境界杭2_エ
17.境界杭2_エ赤字

この石には何かの意味がありそうだと思って家に帰ってから調べてみると、蛇松線を調べたサイトにも載っていました。「エ」という文字が彫られた石は、旧国鉄の境界杭だそうです。蛇松緑道と民家が接している場所で、境目を明確にするために境界杭があるという感じでした。「エ」というのは旧工務省の「工」の字を表してるそうです。レールの断面にも似ていますね。新しい発見ではありませんでしたが、自分にとっては発見です。発見というのは自分で知る喜びであり、なによりもテンションがあがります^^

またありました。

18.境界杭3

蛇松緑道お祭り広場から沼津港ルート

公園がありました。蛇松緑道お祭り広場とあります。

19.蛇松緑道お祭り広場注意書き

昭和20年代後半の地図ではこの場所は「沼津郡是製糸」と書いてありました。一瞬ハテナ?でしたが、繊維・衣料メーカーの「グンゼ」ですね。そういえばイシバシプラザはかつての石橋製糸だったりして、昔は沼津には製糸工場が多かったようです。これは沼津に繭市場があった影響らしいです。

ここで蛇松線は2本に分岐します。一方は狩野川河口、もう一方は沼津港に向かいます。元々は狩野川河口のルートのみだったのですが、沼津港ができたことにより港側に駅が作られました。

ここらへんが分岐地点と思われます。

20.分岐地点(ルート赤字)

まずは沼津港側をたどっていきます。

ここに線路が埋まっていました!今まで何度もこの場所を歩いていると思うのですが、そういう目でみていなかったので気づきませんでした。(たぶん目には入っていたのでしょうが、蛇松線の線路と認識していませんでいた・・・)

21.ガードレール脇の線路

蛇松線が廃止されたのは44年前。当時の線路がまだ残っているというのは感慨深いものがあります。道路の端に無造作に放置されているというよりは、この場所にあえて残してあるという感じだと思います。

ちょうど道路の端がレールになっていて、そこにガードレールがあります。

21.道路の端に沿って残っている線路

分岐からの道は車道です。車道の端のレールがここで、車道を横切ります。思いっきり車道にレールが埋め込まれています。

22.車道に埋まっている線路

ここはおそらく車でレールの上を通ることができる唯一の箇所だと思われます。

左向きの矢印は車は左ということを意味しているんだと思います。右側は車は通り抜けできません(この辺の家の方の車の出入りには使用されているようです)。

22.線路と矢印

矢印のあたりをなんとなくみていたら、もう1つ発見がありました!

これ、わかりますか?

23.花壇の柵に使われるレール

花壇の柵に注目して下さい。上から見ると「エ」。そう、これはレールなんです!こんなところに蛇松線のレールが使われていました!

線路として役目を終えたレールが、全く別の使われ方をしていて面白いです^^

埋められた線路はまだ続いていきます。ここからは歩道に埋められています。

24.歩道に埋め込まれる線路
25.歩道に埋め込まれる線路2

石の椅子があるところのそばに、また意味ありげなものがありました。

26.ケーブルと書かれた石のある場所

境界杭と形は似ていますが、「エ」という文字はなく「ケーブル」と彫られていました。これも蛇松線の痕跡なんじゃないかと思われます。

26.ケーブルと書かれた石

県道159号線に出ました。千本港町のバス停のところまでレールが続いています。

27.千本港町のバス停付近

159号線を渡ると、また歩道にレールが埋まっています。一体どこまで続くのでしょう??歩道の脇には小さな蛇松線の石碑があり、機関車や蛇松の絵がありました。

28.歩道に埋め込まれる線路3
29.蛇松線の石碑

通りを渡るともう沼津港です。

沼津みなと新鮮館の新しい建物があります。かつての線路は、ちょうどこのウッドデッキの左の通路のところをまっすぐと魚市場に向けて通っていたと思われます。

30.沼津みなと新鮮館の歩道

そして魚市場。この駐車場のところに沿って線路が延びていたはずですが、線路の痕跡は何もないようです。

31.ホーム脇の線路はなく駐車場になっている

線路の痕跡はありませんが、おそらくこの段が高くなっているところが、蛇松線の駅のホームであったと思われます。ここで荷物の積み下ろしが行われていたのでしょう。

31.魚市場ホーム跡

魚市場の先も念の為、ウロウロしてみましたが、痕跡らしきものは見つかりませんでした。

蛇松緑道お祭り広場から狩野川河口ルート

もう一度、お祭り広場の分岐地点まで戻ってきました。今度は狩野川河口ルートを辿ってみます。

港側は車道が混じっていましたが、こちらは蛇松緑道(歩道)として整備されています。

32.狩野川河口側に続く緑道

右側に錆びた鉄の壁が続いていました。このサビ具合は古そうだなぁと眺めていました。このあたりなにか残っていそうな雰囲気があります。

34.錆びた鉄の壁

さびさびの鉄の棒が無造作に壁に立て掛けられていました。!?これはもしや、、、、

34.立て掛けてある鉄の棒

上からみてみると、、、

34.よくみたらレール

やっぱり「エ」の形。間違いなくレールです!!

よくみたら長い鉄の棒もレールです。そうするとこの錆びた鉄壁も列車の一部かなにかかもしれません。四角い窓のような枠も気になりました。

34.錆びた鉄の壁(レール赤丸)

なにかもう少しみつかりそうな匂いがするので、周辺をウロウロしてみました。

少し戻り車道と交差しているところに廃棄工場のような場所がありました。地図で見ると株式会社丸和とあります。

33.株式会社丸和

左の階段のところにドラム缶があり、その横に錆びた鉄の棒に紐が結んであり柵になっています。これはもしや、、、、

33.ドラム缶と錆びた鉄

やっぱり「エ」の形です!レールを柵に使うというのは定番の再利用方法のようです^^

33.レール

この建物の東側が廃棄物置き場のようになっていました。この廃棄物置き場の東側が蛇松緑道で、さっきのレールが立て掛けられていた鉄の壁は廃棄物置き場の東側の壁になっていました。

35.廃棄物置き場

四角い箱みたいなものが数個並んでいます。これをみて、またまたピンときました!

35.コンテナ2

この錆びた四角い箱は、ひょっとして貨物列車のコンテナなんじゃじゃないでしょうか??

木張りの甲板みたいなものもあります。推測の域を出ませんが、これも列車の一部か駅の床とかに使われていたのかもしれません。

35.木張りの甲板

すぐ横には古そうな郵便ポストもありました。これはさすがに蛇松線とは関係ないかな?写真を見直してみて気づいたのですが、「このポストは」という文字が読み取れます。何かの手がかりになりそうですが、それ以降の文字は読み取れませんでした。

35.郵便ポスト

この場所が蛇松線から離れた場所だったら、コンテナも木張りの甲板も蛇松線と結びつけるのはこじつけかもしれませんが、ここは蛇松線の真横の敷地です。レールもあったわけだし、蛇松線と結びつけるのは自然なことに思えます。

思いの外、いろいろな発見がありました。更に先に進んでみます。

このあたりが今も蛇松という地名です。

36.蛇松町の石碑

蛇松町の説明がありました。昔、このあたりに蛇のようにくねった蛇松と呼ばれている松があり、そこからとって蛇松線と名付けられたようです。地名の蛇松が使われるよになったのはその後のようです。

36.蛇松町説明

肝心のくねった蛇松どころか、くねっていない普通の松も、このあたりではもう見当たりません。

この石碑のあるところは小さな広場(蛇松広場)になっていました。蛇松線の車輪とレール、踏切が置いてありました。

37.蛇松広場
37.レールアップ
37.蛇松広場の車輪
37.車輪アップ
37.踏切

蛇松線の歴史が刻まれたものが、なんだか無造作に置かれているのがちょっともったいないような、、このままだと、年月とともにサビがひどくなり朽ちていってしまいそうな気がします。せっかくだからここに蛇松線の記念館みたいなものを作って、屋根の下に展示してほしいなぁと。蛇松線の写真を展示したり、蛇松線の歴史を説明してして欲しい気もします。

そんなわけでここが蛇松緑道の終点です。木の階段になっていて、上にあがると狩野川の堤防沿いの道に出ます。

38.蛇松緑道の終点

すぐ先に港大橋、向こう側には香貫山、徳倉山、鷲頭山と連なる沼津アルプスが見えています。

38.港大橋

かつてはこのあたりに蛇松駅、そして河口港があったはずです。一応河原まで下りて、何かの痕跡がないか探してみましたが、さすがにここにはもう何も残っていないようでした。

39.河原

後日談的な補足

蛇松線の痕跡を探す蛇松緑道を歩きを終えた後日。双葉町の明電舎の横を自転車で南に走っていたところ、JRの踏切を渡った右手に貨物列車のコンテナがたくさん置いてある敷地に気づきました。

40.JR貨物沼津駅

なんだろう?ここはと思って近づいてみるとJR貨物の敷地でした。言われてみればそんなものがあったかもしれないという程度の認識しかありませんでしたが、とりあえずコンテナの写真を撮ってみました。先日蛇松緑道でみた古いコンテナのような廃棄物と大きさは同じくらい、形状は少し異なりますが、やはりあれはコンテナなんじゃないかと、ますます思いました。

40.JR貨物沼津駅のコンテナ

そこにトラックが大きなコンテナを積んで、JR貨物の敷地に入ってきました。

40.JR貨物沼津駅に入っていくコンテナを積んだトラック

よくみると「沼津丸通」の文字!そう、沼津通運倉庫のトラックでした。

40.沼津通運のトラック

沼津通運さんのトラックがコンテナをJR貨物に運んでいるのです。これは至極当然のことなのでしょうが「なるほど、そういうことなのか!」と自分の中で点と点がつながった思いでした。沼津通運倉庫という会社は、こういう鉄道コンテナの輸送をしている会社なのか。敷地内に線路があったということは、そういうことなのだと。

あらためて家でGoogleマップを眺めてみました。JR貨物の敷地は「JR貨物の沼津駅」でした(JRの沼津駅とは別物で離れた場所にある)。そんなことも知りませんでした、、、。しかしこのこともまた合点がいきます。現在でも港からJR貨物沼津駅まで、コンテナは蛇松線の代わりにトラックで運ばれ、貨物列車に積まれているというわけです。

かつての蛇松線の役割は今もこうして引き継がれているんだなぁと。

ソライロノート

蛇松線イメージ落書き

蛇松緑道は、地元の近所にある道です。何度も歩いたことがあります。今回蛇松線の痕跡探しをしてみよう!と思い立ってみたものの、そこまで発見があるとは思っていませんでした。いろいろな人に調べつくされているだろうし、もし何か1つでも新しい発見があったらみっけもんだろうくらいの気持ちでした。

地元ながら知らないことがあまりにも多かったのは恥ずかしい限りですが、ネットに載っている蛇松線関連の記事にも載っていなそうな新しい発見もいくつかあったのではないかと思います。何より自分の知らなかったことを知り、自分の住んでいる町の歴史を学ぶことがとても楽しく、50年前に蛇松線が走っていた沼津の光景が浮かび上がってくるようでした。

自分の住んでいる町のことを知ることで、いろいろなことがつながっていく面白さプラス、地元に対する愛情が少し深まったのではないかと思います。

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蛇松線イメージ落書き
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