沼津市口野に金の櫻(桜)と書いて金櫻神社(かなざくらじんじゃ)いうという神社があります。この神社はもともとは標高約230メートルの金櫻山頂付近にあったのですが、昭和35年(1960年)に県道17号線に近い現在の金櫻山の麓に移されたそうです。
この神社いろいろと謎が多いんです。どういうことかというと・・・
下調べとしてこちらの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございますm(_ _)m
金櫻神社の謎
謎というとちょっと大げさなのかもしれませんが、この金櫻神社にはいくつかの疑問があります。
※地図で位置関係を確認しながら読んでいただけると、より理解しやすいかと思います。
謎1.県道17号線からみえる3つの鳥居の謎
1つは現在の金櫻神社の登り口にある一の鳥居です(地図上鳥居①)。さらに県道17号線を南下していくと、もう一つの鳥居があります(地図上鳥居②)。さらに南下していくと、3つ目の鳥居があります(地図上鳥居③)。これらがすべて別々の神社の鳥居であれば謎でも何でもないのですが・・・
実はこれらについては先のリンクでも議論され解決がしているようですが、一応整理しておきます。
鳥居①:現在の金櫻神社の一の鳥居。
鳥居②:現在の金櫻神社の旧参道の一の鳥居。旧参道は地滑りが発生ないしは予見されたため廃止されたそうです。
鳥居③:旧金櫻神社の参道の一の鳥居。ここから金櫻山の山頂付近にあった旧金櫻神社に参道がのびていたのでしょう。※地図上の赤線は、私が適当に引いた参道ルートです。
謎2.鳥居②から金櫻神社には、現在でも参拝できるのか?
こちらの記事では鳥居②から旧参道を通り、金櫻神社に登られたようです。
ミニレポート 第127回 沼津の謎の白鳥居
現在この旧参道がどうなっているのか?登れるものなのか?確認してみようと思います。
謎3.鳥居③は現在もあるのか?
鳥居③の旧金櫻神社への一の鳥居は、Googleストリートビューからも確認できます(地図上の鳥居が見えるポイント参照)。
しかし最近この鳥居がなくなったらしいという噂を聞きました。なぜ鳥居はなくなったのか?鳥居があった場所が現在どうなっているのか確認してみたいです。
そもそもこの場所に行けるのかどうかという問題があります。というのは、鳥居③は画像を見る限り、工事現場のすぐ上になっているようなので、この場所まで入っていけるのかどうか、現場に行って確認してみようと思います。
謎4.旧金櫻神社があった金櫻山にはどうやって登るのか?
今でも金櫻山頂付近には旧金櫻神社の遺構ようのなものが残っているそうでGooleマップにもポイントされていますが、金櫻山は登山ルートがありません。どこからどういうルートで登ればいいのかは、自分で歩いてみるほかありません。
謎5.金櫻神社の由緒および創立年月は不詳
金櫻神社の由緒や創立年代などは不明のようです。そういうのは珍しくはないのかもしれませんが、全くわからないというのは逆に興味がそそられます。どういう由緒なのか、調べてわかるのかはわかりませんが、わかったことがあれば報告させていただきます。
謎6.金櫻神社はなぜ金櫻山頂から現在の場所(金櫻山の麓)に移されたのか?
このあたりは、詳しい地元の方とかにお話が聞ければいいのですが。
というわけで、5月某日に謎多き金櫻神社と旧金櫻神社が眠る金櫻山を散策してみました。
金櫻神社の3つの鳥居の現在
まずは3つの鳥居を確認してみました。
口野放水路からはじまる県道17号線を南下していくと山側(左)に鳥居が見えてきます。これが金櫻神社の一の鳥居です。いかにも新しい鳥居です。
鳥居前に若干のスペースがあり、車1,2台なら停められそうです。※今回は自転車で来てます。
金櫻神社の鳥居①から県道17号線を100メートルちょっと南下した場所に鳥居②があります。わかりにくい場所ですが、こういうところです。
草に覆われてしまって見えにくいですが、鳥居②は現存しています。鳥居の端っこが少しだけ見えている状態です。鳥居の全体像がわかるような角度から撮ろうと思ったのですが、鳥居にまとわりつくように雑草があるし、足元も草だらけで蛇とか出てきそうな感じです。
コンクリートで固められた山肌には取り付き階段があるのが見えます。
今の時期、ここから入っていくのには難しそうなのでやめておきます。
更に県道を200メートルほど南下すると工事現場があります。
ここから鳥居がみえたはずなのですが、、、石の階段のようなものは見えますが鳥居はありませんでした。
※工事現場の外から撮影
鳥居がなくなってしまったのは本当でした。一体なぜなくなってしまったのでしょう??
金櫻神社を参拝
3つの鳥居の現在を確認した後は、鳥居①の参道から金櫻神社を参拝してみたいと思います。
金櫻神社一の鳥居
扁額の文字。
石の階段と坂が続く参道
参道の階段を登り始めると右側にカバーの架かったものがあります。修理中かなにかでしょうか?
境内の鳥居
5分ほどで境内の鳥居にたどり着きました。
左(南西)には淡島。
右(北西)には鷲頭山と駿河湾、手前には静浦ダイビングセンターのある岬がみえます。
金櫻神社境内
参拝客は一人もいません。静かなこじんまりとした境内でした。
石灯篭と鳥居。
本殿と狛犬。
狛犬の後ろに回ってみたら「昭和十三年十月建設」とありました。つまり、この狛犬は旧金櫻神社にあったものと思われます。どうやって運んできたんだろう??
手水舎には水はありません。
ん、ちょっと待ってください!手水舎をよくみてみると「奉納」という字の間に、桜の花に「金」をいう字がかかれたマークです。
これは金櫻を表した紋でしょうか。おもしろいです。この紋が他にもあるかもしれしれませんので注意しながらみていきます。
境内をあちこちキョロキョロしながらみていたところ、植え込みのところに何か石が埋まっていることに気づきました。植え込みで見えにくいですが、棒のようなものが何本も埋まっていました。
近づいてみます、、、わかりにくいですが石の道標のようです。
その右側にもありました。
これは一丁目半とあります。
こちらは四丁目とあります。
横には四三六メートルと彫られています。
1丁(町)=約109.9メートルなので、4×109=436になります。
石道標は数本埋まっていましたが、三丁目、四丁目、一丁目半などの石道標がありました。一番数字が大きいのは四丁目半(四九一メートル)でした。つまり一の鳥居から本殿までの参道の長さは491メートル以上あったものと思われます。現在の金櫻神社の参道はそこまで長くありませんので、この道標は金櫻山の山頂付近にあった旧金櫻神社への参道にあったものと考えるのが自然でしょう。
その横の茂みの影には石灯篭の一部?あるいは末社の一部?のようなものもありました。
金櫻神社本殿
本殿の前には金櫻神社の説明がありました。
鎮座地 沼津市口野御鎮座
御祭神 大和武尊・少彦名命・木花迺開耶姫命
例大祭 五月十七日
由緒 由緒及び創立年月は不詳。文化九(一八一二)年六月再建。昭和三十五(一九六〇)年に金櫻山頂上より、現今の処へ移転。新たに社殿・境内を御造営した。往古より海の守り神として信仰を集め、海上安全・大漁満足のご利益を祈願する参詣者が各地よりある。江戸時代は祭神のご神徳により虫封じの信仰も厚かった。現在、例祭の他毎月十七日の縁日に月次祭が斎行されている
本殿です。
扁額と本坪鈴と鈴緒。扁額の「金」という字は旧字体で書かれています。
木鼻にも狛犬がいました。
本殿の横には、小さな祠が置いてありました。といっても使われていないようでしたが。
あっ!また「金櫻」の紋をみつけました!手水舎にあったものと一緒です。
社務所
本殿の左側には社務所のような小屋がありますが、使われていないような感じでした。
社務所の裏には仮設トイレがありました。
奥の鳥居
本堂右奥には木の鳥居と石灯篭があります。古そうなので、もしかしたら旧金櫻神社からもってきたものかもしれません。
この石灯篭、よくみたら「金櫻山」とあります。
ということはやはり元は金櫻山にあったものかもしれません。先程植え込みのところにあったものが石灯篭の一部だとしたら、対になあっていたものかもしれません。
あ、もう一つ気づきました。この石灯篭の鬼紋?(呼び方合ってるか不明)の部分に、桜の紋が入ってます。
金櫻の紋に似ていますが、こちらは金の字はなく普通の桜紋のようです。
奥の鳥居から出ると、左には舗装された道があり、右側は空き地のようになっています。
空き地の奥にいってみると、奥は農地になっているような感じで農道のような道が続いています。ここから金櫻山に登る道に向かうこともできるかもしれませんが、ここから先は許可がいりそうな感じがします。神社側に戻ろうとしたところ、左側にみえたのが、コンクリートで固められた山肌、そして鳥居②でした。さきほどは県道から見上げましたが、こうしてみるとより位置関係がわかります。
これが金櫻神社の旧参道と言われていますが、このコンクリートに打ち付けれられたはしごが参道とは思えませんので、かつてはコンクリートではなく普通の階段があったのではないかと想像します。
もう一度境内に戻って、はしごが行き着く先からみてみました。金網が張ってあるところを下に覗き込むと、鳥居とはしごがみえました。
怖いのでこの階段をたどるのはやめておきます(^^;)
ソライロノート
というわけでここまでが現在の金櫻神社の現地調査でした。
植え込みのところに埋まっていた石道標や金櫻の紋など、思ってもなかったいくつかの発見があり、ワクワクしてきました。何も知らずにただお参りしただけではきっと気づけなかったかもしれませんが、こういう発見があるのはとても面白いです。当たり前のことことですが、やはり自分の目で現地を見るのが一番ですね。
続いて金櫻山を目指したいと思います。
(2)へ続く
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