沼津市口野に金の櫻(桜)と書いて金櫻神社(かなざくらじんじゃ)いうという神社があります。この神社はもともとは標高約230メートルの金櫻山頂付近にあったのですが、昭和35年(1960年)に県道17号線に近い現在の金櫻山の麓に移されたそうです。この金櫻神社と金櫻山を探索するシリーズ(3)旧金櫻神社編です。
(1)、(2)はこちらです。
沼津市口野に金の櫻(桜)と書いて金櫻神社(かなざくらじんじゃ)いうという神社があります。この神社はもともとは標高約230メートルの金櫻山頂付近にあったのですが、昭和35年(1960年)に県道17号線に近い現在の金櫻山の麓[…]
沼津市口野に金の櫻(桜)と書いて金櫻神社(かなざくらじんじゃ)いうという神社があります。この神社はもともとは標高約230メートルの金櫻山頂付近にあったのですが、昭和35年(1960年)に県道17号線に近い現在の金櫻山の麓[…]
金櫻山頂から旧金櫻神社跡地を目指す
(2)にて金櫻神社から金櫻山に登った後、旧金櫻神社の遺構を探しながら下山していきます。
山頂までは道なき道をひたすら登ってきたので大変な道のりでしたが、ここからはある程度歩きやすいのではないかと期待しています。何しろ60年前までは参道があったわけですから、かつてはたくさんの参拝者が歩いていたはずです。注意深く道を探しながら歩いていこうと思います。
Googleマップ(別窓)
※マップ上の丸数字と以下の記事上の番号は対応しています。
①山頂からGPSをみながら北西尾根を下りていきます。旧金櫻神社跡地がGoogleマップにポイントしてあるのが大変ありがたいです。
②すぐに尾根が分岐しています。そのまま何も考えずに歩いていると道なりに北西の尾根に行ってしまいそうですが、方向から考えて西に下りていきます。
③木々の隙間から展望が少し見えました。江の浦港と鷲頭山が見えています。冬なら葉がないので、山頂の展望予想図に近い絵がみれるかもしれません。
山頂の展望予想図。
④このあたりは尾根道なので歩きやすいなあ
と思いながら歩いていると、いきなり何やら人工的な石が、、、
こ、これは!?
小さな祠、末社でしょうか?とにかく、神社的なもので間違いありません!!
さらに、こちらは祠が崩れたものでしょうか?あるいは別の何かかもしれません。
こちらは屋根の残骸のようです。
屋根の鬼版の部分でしょうか?紋はとれてしまったのか見あたりません。
この残骸のある場所の全体はこんな感じです。
他にもこんなものがありました。
なんだかわからない錆びた鉄
人工的な石の欠片
錆びた鉄板と加工された木
GPSをみると例のGoogleマップのポイントとは少しズレがあります。スマホのGPSの精度はそこまで正確ではないので誤差なのかなあとも思いました。いずれにしろ、まだ遺構があるかもしれませんので下っていきましょう。
⑥引き続き歩きやすい尾根道を下ります。
⑦尾根道からぐるっと右に曲がると、平らな場所に出ました。ここにも遺構があります!!
GPSを確認してみるとGoogleマップにポイントされている遺構跡とほぼ一致しています。ここが旧金櫻神社跡地と考えて間違いないでしょう。
この場所から下りていく階段もあります。これはまさしく参道です。
階段の先が正面と思われます。正面にはなにかの土台のような跡。
土台の右。この正方形の上に石灯篭があったのか、あるいは鳥居の土台か。
土台の左。右側と若干感じが違います。
土台の先には、ブロックの土台が積まれた四角いスペースがあります。木の枠も残っており、模様が彫られているのがわかります。この後ろ側にも石が積まれて石垣上になっています。
これが本殿跡なのでしょうか?
鬼紋には「水」の文字。金や桜ではなく「水」。
通常、本殿の前に拝殿があるはずなので、前にある土台は拝殿の土台なのかもしれません。とすると境内には鳥居はなかったのかもしれません。スペース的に。いずれにしろ建物の大きさは今の金櫻神社よりも小さなものだったことが想像されます。
現在の金櫻神社の狛犬と石灯篭(奥)が、この旧金櫻神社から運んできたものだとすると、一体どこにあったものでしょうか?この場所だとちょっとスペース的に厳しいような気もします。
神社の周囲を囲う玉垣のようなブロックも積まれています。
建物的なものは残っていませんでしたが、思っていた以上に神社的なものが残っていました。特に気になったのが鬼紋の「水」の文字です。「金」や「桜」ならいかにも金櫻的ですが、「水」というのは意外です。新たな謎が生まれましたが、きっとなにか意味があるのだと思います。
参道を下る
この参道がどこまで続いているのかわかりませんが、できる限り参道の痕跡をたどりながら下ってみましょう。もしかしたら、そのまま一の鳥居跡地までたどり着けるかもしれません。
階段から神社跡地を振り返ってみます。しっかりとした階段が残っているのがわかります。
更に下っていきます。階段的なものがまだうっすらとあります。
はっきりと参道跡と分かる場所と、よくわからない場所が出てきました。特に下りはわかりにくいと思われます。参道かどうかよくわからなかった場所も、振り返って上をみてみるとなんとなく参道が見えます。
なんとか参道の痕跡をたどりながら下っていくと、無造作に標石らしきものが置いてありました!
「二丁目半」とあります。これはまさしく現金櫻神社の境内の埋め込みにあった石道標と同じものです!!ということは、横にメートル表記の文字があると思われ、、、
写真では見えにくいですが「二七三メートル」とあります(1丁=約109メートル)。ここが一の鳥居から273メートルの地点なのかもしれません。周辺には特になにもないようなので、更に下っていきます。
あ、ここはとてもはっきりした石段が残っています。とてもわかりやすいです。
なんだかこのあたりは参道跡がしっかりと残っているなぁと思っていたら、、
これは間違いなく人工的な石です!苔もたっぷりついているので古いものでしょう。
石灯篭のようなものもありました!
灯籠の土台のようなもの(四角いの)もあります。
しかもこの石灯篭、何か文字が彫られています。二文字目に「神」という字がみてとれるので、一瞬「金櫻神社」とあるのかも?と思いましたが、三文字のようなので違うようです。ちょっと字がはっきりしないので他の文字を読み取ることはできませんでした。
これはなんでしょうか?石に溝というか楕円形の穴が彫られているようです。
角度を変えてみたらわかりました。これ手水舎です。「奉献」という文字も読み取れます(右から)。
さらに違う形の石が・・・これってもしかて、、、
いやいやこんなところに、こんな無造作に、しかも分解されて放置されるなんてことがあるでしょうか、、、?
でも形からすると、どうみても、、
比較のために現在の一の鳥居がこちら。
ほら、この石が二段に重なっている形がそっくりです。これは分解された鳥居なのではないでしょうか?
円柱状の石は鳥居の縦の柱のように思えます。
こんなところに破壊された鳥居が放置されているのは、かなり罰当たりな気がしてしまいますが、、どうしてこうなってしまったのでしょうか、、
いずれにしろ、この場所に鳥居があったとするならば、これは二の鳥居ということでしょう。かつて金櫻山の中腹に二の鳥居があったという話は、実際に聞いたことがあります。間違いないでしょう。
もしかしたら、現在の金櫻神社にある狛犬と石灯篭(奥)は、二の鳥居周辺にあったのかもしれません。このあたりならスペースはいくらでもありそうです。
ということで、まさか二の鳥居まで残っているとは思っていなかったので、この発見は大きな驚きでした。このまま一の鳥居跡まで下っていこうと思います。
一の鳥居跡へ
しかしこのあと、参道跡が非常に不鮮明になりました。すぐ左に沢筋のような道もあり、それと参道跡が混じってしまって、もはや道がよくわからない状態になりました。藪になっているところもあり、どこにも道が見当たりません。GPSログ(上記のGoogleマップ)をみてもわかるように、このあたりであっちに行ったりこっちに行ったりうろうろしました。
一の鳥居は諦めて、県道に出ることを考えたほうがいいかもしれません。もう地上はかなり近いはずなのですが、、国土地理院の地図をよく見てみると、北側に進んでいけば破線がすぐ近くまでのびています。そこから林道を経由して県道に出れそうな感じです。ただ北側は完全に藪になっています。獣道のような小さな道がみえたので、四つん這いになりながら強引に藪の中を進んでみました。が、その道も途中で前に進めなくなりあきらめて引き返しました。
どうしよう、、、金櫻山に閉じ込められてしまいました・・・。これは金櫻神社の祟?あんなふうに鳥居が放置されているのですから祟られてもおかしくないかもしれません、、、焦ってきたせいか、思考が悪い方に悪い方に向かってしまいます、、、
こういうときは落ち着いて行動しないと!
いざとなればもう一度登り返して来た道を戻るのが一番確実でしょう。なんとかなるだろうと思うと少し落ち着いてきました。冷静になると、工事の音が聞こえてきました。今までも音がしていて耳には届いていたはずですが、脳には届いていなかったのでしょう。工事の音が聞こえるということは・・・
一の鳥居跡は、工事現場のすぐ後ろ側にありました。つまり、鳥居跡のすぐ近くまで来ているということです。これは工事現場の上側に出たほうが近そうです。そこから県道に出れるかどうかわかりませんが、、、少なくとも今よりは状況が改善しそうな気がします。
こうなったら道がなくても強引に下るしかありません。枯れた細い竹を掻き分けながら道なき道を進んでいくと、視界がパッと開き、工事現場の上に出ました。
そこには石段や人工的な石がありましたが、鳥居の痕跡はありません。が、おそらくここが一の鳥居があった場所ではないかと思われます。
一の鳥居跡横から
さあ、ここからどうするか?ちょうど工事現場の方がみなさん座って休まれているのが目に入りました。どうやら休憩時間のようです。ダメ元で声をかけてみて、金櫻山の山頂の登り、神社の遺構を探しながら下りてきたところ、県道に出る道がわからなくなりったことを説明しました。「山の方からガサガサ音がしたからイノシシかと思うたわ」と言われてしまいましたが、ここを通り抜けさせていただけるとのこと。(たまたま休憩中だったのでよかったのですが、基本立入禁止なので普段は通り抜けはできません。)大変ご迷惑をおかけしましたm(_ _)m
もしかして金櫻神社について何かご存知かもしれないと思い、ご迷惑ついでに少しお話を聞いてみると、いくつかわかったことがありました。
まず、ここの工事現場のすぐ上にあった一の鳥居は何ヶ月か前に撤去されたそうです。神主さんがきてお祓いをしたとのこと。撤去された鳥居がどこにいったのかはわかりません。もともと山を開発するという話があり、金櫻神社が山頂近くから現在の場所に移転したのだが、山の開発がほとんど進まないまま今に至ったようです。
それから山頂にあった三角形の骨組みは風速計なんだそうです。今はもう骨組みしか残っていませんでしたが、骨組みの上に風速計が付いていたようです。
やはりこういうのは地元の方がおくわしい。最後に思いがけず貴重なお話をお聞きすることができました。ありがとうございましたm(_ _)m
ソライロノート
旧金桜神社の遺構は現在も金櫻山のいたるところに残っていました。
遺構のあった場所を整理しておきます。おおまかに5個所ありました。
1.山頂から少しくだったところにある末社と屋根の残骸。
2.そのすぐ下に本殿跡
3.二丁目半の石道標。
4.中腹にある二の鳥居跡。周辺に石灯籠、手水舎などの残骸。
5.一の鳥居跡。石段が残るのみ。
※マップ上の遺構ポイントに対応。
現在も一の鳥居のところの工事が進んでいますが(何が作られているのかはわかりませんが)、このまま金櫻山はどんどん開発が進んでいくのかもしれません。とすると、これらの遺構もそのうち撤去されてしまいそうな感じではあります。このまま神社の遺構を残しておいてほしい気もしますが、今のように破壊された鳥居が放置されてままの状態はあまりよくないのかもしれませんね。
どうせ開発がすすんでいくのであれば、駿河湾と沼津と富士山を眺められる絶景ハイキングコースを整備するなど観光資源化していくのもありなんじゃないかと、個人的には思います。
さて、この金櫻神社と金櫻山にまつわる話、もう少しだけ続きがあります。ご興味のある方はお付き合いくださいm(_ _)m
(4)へ続く。
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