昨年末からお正月にかけてはどっぷりと読書にひたっていました。ひさしぶりに読む旅の本、沢木耕太郎氏の「天路の旅人」です。
「天路の旅人」について
まずは本著について簡単にご紹介します。
戦時中の中国大陸から鎖国チベットへの潜入した西川一三という旅人を描いた、沢木耕太郎氏による長編ノンフィクションです。沢木耕太郎といえば「深夜特急」が有名です。また第三者の旅について描いた作品となると、世界的クライマー山野井泰史がヒマラヤギャチュンカンに挑んだ記録「凍」が思い出されます。
わたしは西川一三という人物についてはまったく知りませんでした。ただ戦時中や戦前に鎖国中のチベットに潜入した先人たちがいるという話はなんとなく聞いたことがありました。その最初の一人河口慧海のチベット旅行記はいつか読んでみたいと思っていた作品でした。
本の帯には「第二次世界大戦末期、中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人がいた。」と書かれています。
もうこれだけで面白そうです!旅好きの人、沢木耕太郎好きの人なら、これだけでもう読んでみたくなるのではないでしょうか。
まだ読んでないというかたは、ぜひ。
ちなみに「天路」は「てんろ」と読むようです。
また、本著はありがたいことにお試し版というものがあります。わたしも最初Kindleのお試し版を読んで、もうその段階で夢中になりすぐに書籍を購入しました。迷ってる方はまずはみてみてはいかがでしょうか。
感想
圧倒的な旅
わたしは西川一三という人間について、これまで全く知見がありませんでした。そんな人がいたということすら知らない、まったくの白紙の状態で本著を読み始めました。
そしてまず第一に圧倒されました。この西川一三という男の超人的とも言えるこの旅に。読む前はこれほど夢中になるとは思っていなかったくらい、熱中して読みすすめました。バックパッカーのお気楽な旅とは比較にならない、使命をおびた旅である。しかし西川はつらいなかでもいろんなことを吸収しながら、旅のスキルを高めながら、自分の知らない新しい土地、新しい世界をみることに楽しみを見出していった。
こんな旅を自分もしてみたいなどとは軽々しくとても言えないような凄まじい旅。とても真似なんかできない。真似したくないのではない、とても真似ができないような想像をはるかに超えている旅だった。
西川氏の強靭な体力もさることながら、この人物の人柄がまたすごいのだ。至誠の心を大切にする誠実さ、心配り、周りの人から信頼され慕われる様子、リチュ河で自分の危険を顧みず一行のピンチを救おうと思った気概、世話になった人たちへの感謝の思いからのさまざまな行動など、西川一三という人物の魅力にもとても惹かれた。
その根底にあったものは、吉田松陰の「至誠の心」だった。「至誠」とは孟子の教えで「至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり」というものです。
そしてもう一つ。食べるものがあり、寝る場所があるという最低限の生活で人は幸せを感じることができるという西川の信条である。言葉で言うのは容易いが、西川氏はこの言葉どおりの旅をし、また日本に帰ってからも、この言葉どおりの人生を送ったのだろうと想像できる。
西川氏のこの旅に圧倒されない旅人はおそらくいないだろう・・・
物足りなさ
しかしわたしは一方で少し物足りなさも感じていました。
西川氏の旅は突如、本人も望まない形で旅は中断されてしまう。あっけなくも旅が中途半端に終わってしまったことからくる物足りなさは、この本の読者なら皆感じるのではないだろうか。しかしわたしがより強く物足りないと感じるのは、別のものだ。
それは西川氏のその後である。
西川氏が本当になりたかったのは、蒙古高原を自由に駆け回る馬だった。あの馬たちのように、自由に旅がしたかったのだ。もしも西川氏が蒙古高原を自由に駆け回る馬になる努力をし続けたら・・・もう一度あの旅の続きをすることにこだわっていたら、きっといつかは行けたのではないだろうか。
でも彼は汗をかきながら荷を運ぶ馬のような、地道な地に足のついた人生を選んだ。そこには後悔の念のようなものは見受けられない。1年364日、元旦以外休みなく働き続けるラマ僧の修行のような生活を日々を淡々と送リ続けた。
しかしわたしは想像する。あのとき突如旅が中断されてしまってから、最期のときを迎えるまで。何度も何度も夢想したのではないだろうか?あのときあの旅が中断されなかったから・・・木村氏が一言相談してくれていたら・・・と。それこそ何十回、何百回と考えずにはいられなかったのではないだろうか。ビルマ、シャム、アフガニスタン・・・まだみたことがない新しい世界を
わたしなら、その後の人生でもっとあの旅の追い続けたのではないだろうか・・・と考えてしまう。
人生とは、幸せとはなんだろうか。
彼はその後の人生でもう一度旅に出ることなく、汗をかきながら荷を運ぶことを選んだ。
静かな生き方に対する憧れ。寝る場所があり食べるものもあり仕事もあり、最低限生きていくためのものは足りている。多くを求めず、淡々と静かに日々の暮らしの中に小さな楽しみを感じながら生きていく。そこに幸せを感じることができることが、本当の幸せなのかもしれない。
ちょっと物足りないけれど心は足りている。幸せとはそういうものなのかもしれない。
最後の言葉
最後の言葉というのは正確ではないが、西川が最後に家に立ち寄ったときに娘さんに言った言葉。
「もっといろいろなところに行きたかったなぁ」
自分の最期を予期していた西川氏が、心の奥底にしまっておいた想いがふっと出てきのではないだろうかと想像する。
西川氏は蒙古高原を自由に駆け回る馬にはならなかった(あるいはなれなかった)が、本当はそういう馬になりたかった、あのとき中断することなく自由に旅がしたかった。もう一度旅に出たかった。そう考えるとこの言葉は本当に切ない。
「こんな男がいたということを、覚えておいてくれよな」
その西川氏の想いに応えたのがこの「天路の旅人」という本なのだと思う。
その言葉通り、西川一三という稀有な旅人は沢木耕太郎の手で、この本を読んだすべての旅人の魂に刻まれたのではないだろうか。少なくともわたしはこの旅人のことを忘れない。
そんなわけでもう少し西川氏の旅に浸りたいわたしは西川一三著「秘境西域八年の潜行」を読んでみることにしました。芙蓉書房版、中公文庫版ともに古本屋・フリマアプリ等でもなかなか手に入れることは難しいようですが、ときどき出品されているようです。
電子書籍なら全6巻揃います。
また西川氏とほぼ同時期に同じような潜行旅をし、途中行動をともにする時期もあった木村肥佐生氏の著書「チベット潜行十年」「チベット偽装の十年」あたりも入手できたら読んでみようと思います。
旅人のバイブル「深夜特急」をAudibleで聴くのもおすすめ。深夜特急の世界に浸れます。