注目キーワード
  1. 保存食
  2. 備蓄
  3. 常温保存
  4. 大量消費

【ソライロ遍路紀行52日目-3】おへんろ交流サロンを経由し最後の難関女体山へ

2016-05-12-18.49.25_日が沈む

※ソライロ遍路53日間の全貌、ツイートしきれなかった部分も余すところなく織り込んでます。

5月12日、お遍路52日目その3。
お遍路52日目は讃岐うどんの食べ納めをしつつ、八十七番札所長尾寺まで打ち終え、おへんろ交流サロンへ向かおうとしていた。

その1、その2はこちら。
52日目-1 八栗寺参道沿いのよもぎ餅屋のおばちゃんにハッパをかけられる
【ソライロ遍路紀行52日目-2】うどん納めをして八十七番札所長尾寺まで

【広告】

おへんろ交流サロンへ

おへんろ交流サロンのことは、岩本寺近くの水車亭でお会いした自転車逆打ちお遍路さんに教えていただいた。八十七番札所と八十八番札所の間にあり、歩き遍路と自転車遍路に限り「同行二人バッチ」というのをいただけるのだとか。あくまで自己申告のようなのでお遍路をしたことの証明というわけではないだろうが、せっかく記念になるものものなので寄らせていただこうと考えてた。ただ遅い時間までやっているとは思えないので、ネット閉館時間を調べてみると、入館時間は15:30まで。距離は5.5キロくらい、もう13時半を回っていたのでのんびり歩きすぎると間に合わないかもしれない。

その前に飲み物だけは買っておかないと思い、コンビニに寄った。

食材は十分持っていたが、ついつい目についたベーコンとチーズを買ってしまった。最後の晩餐はイタリアンぽいものでも作ろうかな^^

2016-05-12-13.49.15_最後の食材購入

小さな釈迦堂にお釈迦様の石像。

2016-05-12 14.26.07_小さな釈迦堂
2016-05-12 14.26.53_お釈迦様の石像

お遍路さん休憩所。

2016-05-12 14.31.15_おへんろさん休憩所

前方に前山ダムが見えてきた。面白い形の赤い東屋。

2016-05-12 15.00.22_赤い東屋

前山ダム公園案内図。上の方にキャンプ場もあるようだ。

2016-05-12 15.00.31_前山ダム公園案内図

分岐の道標。左にいくと前山ダムを渡り女体山超えルートになるようだ。おへんろ交流サロンに寄らないならこちらでもよさげ。サロンに寄るので直進する。

2016-05-12 15.00.52_遍路道の案内

前山おへんろ交流サロン

前山ダムを左に見ながらダム沿いをぐるっとまわっていくと、左手におへんろ交流サロン、右手には道の駅ながおもみえてきた。

時間は15時過ぎ。なんとか入館時間に間に合ったようだ。

2016-05-12 15.08.05_お遍路交流サロン
2016-05-12 15.08.17_前山地区活性センター

もしかしたら他にもお遍路さんがいるのかな?と思いながら、サロンに入ってみる。ガラーンとしていて人の気配がなかったが、すぐに奥から男性職員(?)の方が迎えてくれ、お茶を出して説明をしてくれた。

2016-05-12 15.14.23_お遍路交流サロン内

歩き遍路と自転車遍路の人だけもらえるという「遍路大使任命書」と「同行二人バッジ」をありがたくいただいた。

2016-05-12 15.21.50_バッジ、任命書、DVD

左上の「2109」という数字は、2015年7月1日からの遍路大使任命者の数とのこと。1年毎にカウントしており毎年2000人から3000人の方が任命されているそうだ。この年の2109番目ということになる。ちなみにこの年は2554名のお遍路さんが任命されているので、このあと6月30日までに445人の方がこの地を訪れていたことになる。(出典:NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク NPO活動内容 四国遍路の活性化に関する取り組み

四国の模型があり、ボタンを押すと対応する札所がランプで光るようになっていた。それにしても四国のこの地形にあらためて驚かされる。平らなところは海外沿いに少しあるだけで、あとはほぼ山である。

2016-05-12 15.14.41_四国模型

お菓子のお接待もいただきました。

2016-05-12 15.14.18_お菓子

大窪寺までのルートについても詳細に教えていただき、紙の地図もいただいた。先程長尾寺でみた5つのルートとほぼ同じようだ。

おへんろ交流サロンでいただいたへんろ道マップ

女体山超えをしたいというと、それなら多和神社を経由する⑤のルートにすすみ④に合流するルート、①との分岐の場所も説明していただいた。

職員の方から今日中に大窪寺まで行くのか聞かれた。女体山ルートの場合、ここから大窪寺までは2~3時間くらいとのこと。歩けるところまで歩いて、行けそうなら大窪寺まで行ってしまってもいいかなという気持ちもあったが、お寺近くに野宿場所があるだろうか?という不安もあった。女体山でいい場所があれば、山で寝たいというのもあるし、まだ迷っていると応えると、大窪寺の前の休憩所で野宿ができると教えていただいた。お寺の前で野宿して、朝一番に納経するのも悪くないかな。あとはもう歩けるところまで歩こう!

15時半すぎにおへんろ交流サロンを出発。すぐ先の道の駅の自販機で、大塚製薬のビタミン炭酸MATCHを購入しておく。

多和神社を経由して女体山へ

平成遍路石。右県道助光経由、女体山経由とある。県道をそのまま進む道と、多和神社との分岐と思われる。

2016-05-12 15.43.15_平成遍路石

女体山の方へ進む。

2016-05-12 15.43.27_女体山へ

ここに遍路道中物故供養碑があった。お遍路中に交通事故に遭われた方が建てたそうだ。

2016-05-12 15.43.38_遍路道中物故供養碑

緩やかな上り道を進んでいくと神社があった。これが多和神社だろうか?神社名がどこかに明記されていないか探してみる。なかなか見つからなかったが、鳥居の扁額にちゃんと書かれていた。

2016-05-12 16.06.26_多和神社
2016-05-12 16.06.44_扁額に多和神社の文字

すぐ先に気になる道標があった。「昼寝城址」と。

2016-05-12 16.08.23_昼寝城址を経由していく遍路道

昼寝城ってなんだ???

昼寝をするための城?そんな城があるんだろうか?ww

想像するだけでおもしろい^^

なんでこんな名前なんだろう?とても興味をそそられる。そして何よりも

昼寝城で昼寝したいいいいっーーーーー!!!

時間はもう16時を過ぎていた。どういう場所なのか、どのくらい時間がかかるのか何の情報もなかあった、、、それでももう少し早い時間だったら寄っていくのだが、、、今回はあきらめて次回の楽しみにしておこう。

2016-05-12-16.25.36_昼寝城跡入り口

登り口のところに昼寝城の説明があったが、写真を撮り忘れてしまった。もう少し先にあった昼寝城跡の説明を書き起こしてみる。

2016-05-12 16.44.46_昼寝城跡案内

『東讃の豪族寒川氏の居城「昼寝城」は、この南西、標高四五五mの昼寝山にあった。
寒川市は、讃岐朝臣の子孫で、代々寒川郡司を勤め、室町後期には、大内、寒川の二郡のほか小豆島も兼領し、当城を本城として、大内群の虎丸と引田に支城、長尾の台が山に山城を構えていた。
築城は、応仁の乱(一四六七)以前といわれ、けわしい山上の城のため、何度も城攻めにあったが落ちなかったという。
昭和五三年発掘調査が行われ、土塁や礎石、堀切りなどが確認されている。今、山上に寒川社がまつられている。』

昼寝山だから昼寝城なのか?昼寝城だから昼寝山なのか、どちらが先だろう?なぜ昼寝という名前がついたのか?肝心なところの説明はなかった。

帰ってから調べてみたところ由来については諸説あるようだが、難攻不落の山城で「攻められても、昼寝をしていても大丈夫」ということから名前が付いたとも。(参考:攻城団公共交通で行く、お城めぐり旅)

昼寝城に後ろ髪を惹かれつつも先に進む。

太郎兵衛館という古い記念館かなにかの建物があったが写真を撮り忘れた。

2016-05-12 16.45.37_太郎兵衛館、昼寝城跡道標

買っておいたビタミン炭酸の喉越しがとても美味しい。熱い日は炭酸系がうまいのだが、このビタミン炭酸MATCHはとりわけ美味しく、飲むだけで少し疲れがとれた気がする。

天気はよかったがもう夕方5時近くになっていた。疲れはあったが、もうこの先毎日歩かなくていいのだから力の出し惜しみをする必要はないと思うと、自然に足に力が入り体が動いた。

2016-05-12 16.45.41_大窪寺への遍路道

女体山への登り口についた。ここから本格的な山道のようだ。

2016-05-12 16.56.27_女体山遍路道

おへんろ交流サロンから2時間くらい休みなく歩いてきたが、山道の前に少し休もうと道の脇に腰掛ける。

一度足をとめると、今まであまり感じなかったが疲れがどっとできた。それでも心地いい疲労感だった。そうだ、あれがあった!、朝いただいたものを思い出し、ザックの中から「生姜漬け」を取り出した。1つ口の中に入れると、体の中に電流が走ったかのようにかぁーっと熱くなる。疲労が一気に吹き飛んでしまう。これは本当にめちゃくちゃ効く。登山の行動食にも生姜漬けいいかも!!

うん、この調子だと大窪寺まで歩けそうだな。

よもぎ餅屋のおばちゃんは「最後に一番険しい山がある」と言っていた。遍路ころがしにも数えられていないこの女体山が、本当にそんなにきついのだろうか?

山頂まで709米まで来た。登り口のところには1138米とあったので、1/3以上歩いたことになる。なかなかきつい登りが続いているが、今日の調子なら問題なかった。

2016-05-12 17.13.12_山頂709米

少し景色が開けた。海が見えるので、瀬戸内の方角だろう。いい眺め!

2016-05-12 17.19.03_女体山遍路道からの展望

ハード登りが続く。

2016-05-12 17.29.34_遍路道

一番険しいと脅されていた分「ん~、そうでもないかぁ」というのが正直なところだった。

小さなスペースとベンチがあった。テントが張れないこともないかもしれないが、細い稜線上だし、いい場所ではない。

2016-05-12 17.33.00_ベンチ

もう山頂も近そうな雰囲気だ。傾斜のきつい登りも楽しい。

2016-05-12 17.36.23_傾斜がきつい登り

いけるいける!と軽快に歩いていたが、最後の最後になんかゴツゴツ岩が出てきた。これまでのへんろ道では見たことがないような岩登りだった!両手を使って三点支持で登る。これはたしかにお遍路の中で最も険しい場所かもしれない!写真も余裕すらなく必死に登る。

少し上の方から声が聞こえてくる。おそらくそこが山頂なのだろう。

岩場には取り付き金具までついていた。よもぎ餅屋のおばちゃんの言っていたとおり、最後にきて遍路道最大の難所と言っても言い過ぎではなかった。

2016-05-12 17.41.27_最後の難所

女体山山頂

この金具のところを越えるとすぐに開けた場所に出た。ここが山頂の展望台のようだ。一眼を持って景色を撮っているご夫婦らしき方がいた。この方たちの声が聞こえていたようだ。

このルートを選んだお遍路には、とてもすばらしいご褒美が待っていた。

この絶景である。

2016-05-12 17.46.25_山頂からの展望

こんなすばらしい景色が見れるとは思っていなかったので「うわーっ!」と声が出てしまう。ここまで登ってきた疲れが一気に吹き飛んでしまう景色だ。

山頂にいたご夫婦とも「すごい景色ですねー!」と会話が弾む。お二人は、すぐ下の駐車場まで車で来て女体山からの夕日を見に来たそうだ。

讃岐平野と昨日から歩いてきた山が見える。屋島は山が平らになっているのですぐわかった。その右には五剣山も見えた。左の方には五色台もみえているのだろう。

瀬戸内海もよく見える。海の中に見えている陸は小豆島だろうか?

2016-05-12 17.43.59_山頂からみえる瀬戸内海

夢中になって写真を何枚も撮っていたところ「よろしければ景色と一緒に撮りましょうか?」と旦那さんの方が声をかけてくださった。せっかくなので撮っていただく。結構本格的に写真を撮られている方らしく、構図を考えてくださり「もう少し右で」とか指示をされて撮っていただいたのがこちら^^

2016-05-12 17.53.19_撮っていただいた写真

いい記念にもなり、とても気に入りました。いい写真をありがとうございましたm(_ _)m

寝床決定

展望台になっているところのすぐ先に東屋と女体山の道標があった。標高774M。

2016-05-12 18.00.02_女体山道標
2016-05-12 17.59.49_山頂の東屋

水場はないが、十分な水を持ってきているので野宿するのに問題はなかった。

ここから大窪寺までは、約1.5キロ下るだけ。もう日が暮れるが迫っていたが、サロンで教えていただいた野宿場所もあるし、大窪寺まで歩くのは十分可能だろう。おばちゃんにはっぱをかけられ、八栗寺からここまでがんばって歩いてきたので、このまま大窪寺まで一気に行ってもいいかなという気持ちもあった。だがそれ以上に、この場所のこの景色がとても気に入ってしまった。決めた!最後の夜は、この女体山の山頂で寝よう。それがソライロ遍路らしくていい気がした。

テントを張っていると、日が暮れてきた。

2016-05-12 18.48.32_東屋の横に幕営

女体山からの夕日。四国から見る夕日もこれで見納めかな。じっくり味わっておこう。

2016-05-12-18.49.25_日が沈む

夕飯

最後の晩餐は、お遍路中に1回はやりたいと思っていたメニュー。先日買った中力粉の残りとベーコンとチーズを使ってピッツァだ!

おいしくっていくらでも食べれそうだったが、4枚で打ち止めにしておく。

遍路飯

お遍路で食べた自炊遍路飯のレシピを紹介するシリーズ(インスタント麺を除く)、今回はお遍路中に1度はやりたかったのですが、52日目の女体山にてようやくチャンス、お遍路初のピッツァです! [adcode] […]

#61_お遍路ピッツァ_完成

出納帳

・よもぎ餅(手作りよもぎ餅屋) 240円
・お賽銭(八栗寺) 20円
・納経代(八栗寺) 300円
・オリーブ釜玉(うどん商人つづみ屋) 450円
・お賽銭(志度寺) 20円
・納経代(志度寺) 300円
・ぶっかけ小冷、唐揚げ棒(さぬきうどん溜) 400円
・お賽銭(長尾寺) 20円
・納経代(長尾寺) 300円
・ハーフベーコン(ローソン) 160円
・スライスチーズ(ローソン) 180円
・デカビタCW(ローソン) 129円
・ビタミン炭酸MATCH(自販機) 160円

【集計】
宿泊費:0円
風呂:0円
洗濯:0円
食費:1,719円
日用品:0円
お参り:960円
合計:2,679円

ルート


Googleマップ(別窓)
ルート:518屋島駐車場側東屋-702手作りよもぎ餅屋716-727八十五番札所八栗寺753-1204うどん商人つづみ屋1225-1002志度寺奥の院地蔵寺-1016八十六番札所志度寺1045-1220さぬきうどん溜1230-1304八十七番札所長尾寺1336-1340ローソンさぬき長尾税務署前店1347-1508おへんろ交流サロン1528-1606多和神社-1743女体山山頂(泊)
・合計時間:12時間58分
・合計距離:35.29km
・最高点の標高:743m
・最低点の標高:2m
・累積標高(上り):1090m
・累積標高(下り):641m
52日目GPS(ヤマレコ)

ソライロノート

朝の時点ではおへんろサロンのあたりで野宿場所を探すつもりでいたが、終わってみれば女体山山頂まで来ていた。前半はよもぎ餅とうどんパワーで、後半はビタミン炭酸MATCHと生姜漬けで疲労を回復し、本当によく歩いた一日だった。

あともう少しで大窪寺だったが、今日はもう心残りがないくらい歩き切ったので、心地の良い疲労感だけが残っていた。毎晩こういう気持ちになれるくらい力を出し切って歩けたのなら、お遍路にかかる日数はもっと短縮できただろうか、、、いやいや決してそんなことはないだろう。お遍路は一日にしてならず。1日全力を出し切って長い距離を歩けたとしても、すぐに動けなくなってしまう。それよりも何日も時間をかけてゆっくり着実に歩みを進めていったほうが、より遠くまで到達できる。そんな誰もが知っている当たり前のこと、誰もが知ってる世の中の道理を、身を持って実感していくというのが、僕のお遍路だったように思う。

女体山の山の中は人の声や人工的なもの音は何なかった。聞こえてくるのは山の息吹、獣の鳴き声のみ。道の駅や公園などよりもずっと落ち着く静かな最後の夜だった。

53日目に続く。

【ソライロ遍路準備編】

ルール詳細
パッキング編
パッキング編2(食材)
自炊計画

【ソライロ遍路移動編】

0日目 沼津から四国に向けて、いざお遍路の地へ!
54日目 家に帰るまでがお遍路

【ソライロ遍路各県初日】

徳島編:1日目-1 ソライロ遍路スタート!
高知編:11日目-1 朝から雨、徳島から高知へ入る
愛媛編:30日目-1 松尾峠を越え、第三の地伊予の国へ

【ソライロ遍路香川編】

46日目-2 やまじ風吹き荒れるなか六十六番札所雲辺寺、初めての通夜堂泊
47日目-1 雲辺寺を下山し六十七番札所大興寺、観音寺市を歩く
47日目-2 六十八番札所~七十番札所、銭形砂絵を眺めため池のほとりで野宿
48日目-1 へんろ小屋で手打ちうどんのお接待、七十一番札所~七十二番札所
48日目-2 天気がいいので幼き空海が修行したという我拝師山に登る
48日目-3 弘法大師生誕の善通寺を打ち善根宿へ
49日目 雨のお参りは傘が役に立つ、七十六番札所~七十八番札所を打ち善根宿へ
50日目-1 カタツムリのお遍路、いそがずあせらず50日目
50日目-2 最後の遍路ころがしを越え、最高の遍路小屋にたどり着く
51日目-1 お遍路最大のピンチ!集団に襲われる!?
51日目-2 八十三番札所~八十四番札所、狸の聖地屋島に泊まる
52日目-1 八栗寺参道沿いのよもぎ餅屋のおばちゃんにハッパをかけられる
52日目-2 うどん納めをして八十七番札所長尾寺まで
52日目-3 おへんろ交流サロンを経由し最後の難関女体山へ
53日目-1 ラストナンバーにて結願、そして奉納
53日目-2 八十八番札所の先、四国一周をつなぎ閉幕

【ソライロ遍路全記事一覧】

全記事一覧

【広告】
2016-05-12-18.49.25_日が沈む
最新情報をチェックしよう!